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江戸時代の巡礼記録(書籍・地図など)

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江戸時代の巡礼記録(書籍・地図)

 書籍などから入手出来た江戸時代の巡礼記録において、札所順やルート選定の参考になると思われるものを紹介します。なお、詳細を知りたい方は出典の内容を見て下さい。

1.江戸時代(金草鞋)
・方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)  著者 十辺舎一九
・文政元年出版(西暦1817年、明治維新の51年前)
・札所間の道順(通過する村)は、「坂東順礼独案内図」(江戸両国大黒屋平吉板)とほぼ一致しています。
・江戸浅草寺を発願寺に右廻りの環状一筆画。
 詳細は、カテゴリーの6.文献調査結果にまとめてあります。
 (出典)(故)柴田顕成氏の現代語への翻訳資料(私家本)。奥様に資料提供していただきました。

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2.江戸時代(独案内)
・復刻古地図「坂東順礼独案内図(江戸両国大黒屋平吉板) 出版社 人文社
・江戸末期。この時代のガイド地図。
・札所の参拝順と経過地域名、地域間の距離が記載されています。
・メインルート以外のルートも記載されています。
 下図は、27番飯沼観音~29番千葉寺間を抜粋したものです。
・札所間の道順(通過する村)は、方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)著者十辺舎一九とほぼ一致しています。

 詳細は、カテゴリの「6.文献調査結果 h.坂東順礼独案内図」にまとめてあります。*H23.2.17 追記

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3.江戸時代(観音霊場記) -----H20.4.13追記
a.坂東三十三所観音霊場記 全10巻  著者 沙門亮盛
  明和8年出版(西暦1771年、明治維新の97年前)

kannonreijou.JPG                          出展 埼玉県立図書館デジタルライブラリー

b.この「坂東三十三所観音霊場記」は、西国札所についての多量な出版に比べ、数少ない坂東札所関係の資料の中でも正確にして豊かな内容で、貴重な資料といわれています。
 なお、この書は各寺院毎の由縁、縁起などの記述が主であって、巡礼道・行程に関する事項ほとんどみられませんが、ピックアップすると以下の3点です。
 ①第1巻 1番杉本寺の項において、「・・・・ 余に那古の浜八溝の嶺などは。一箇所の霊場を拝するに。数日の間難所を往返するも ・・・・・」
 ②第6巻 17番満願寺の項において、「我が故郷を出立より。遠くこの地に巡り来れども。まだ十七番目なれば。笈摺を解納るの那古までは。遥の路程を経るならんと。山河の難所に疲労して。行先を思ひ歎息する意なるべし」
 ③第8巻 24番雨引山の項において、「二十三番佐白より二十番の益子へ出る。必ず仏の山という所を過ぎる。円形の山相並びて。その中間往来の路なり。路の西の方は下野分。東の方は常陸の国なり。東なる山は雨引の方なれば。ひたちなる仏の山と云。路次の難所を除いて。十七番 十九番 十八番 二十一番 二十二番 二十三番 二十番 二十四番と巡るなり。佐白より仏の山へ三里。仏の山より益子へ三里。益子より雨引寺へ五里。」
c.以上の内容から分かることは、①と②では坂東巡礼の路程の厳しさを、③では路次の難所を避けるための17番から24番間の札所順を、叉、二十三番佐白より二十番の益子への道筋として仏の山峠を通ることを述べていることです。
d.③で述べている札所順は下図のとおりで、これは、坂東巡礼独案内図や十辺舎一九の方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)と同じ札所順です。
e.ところで、この霊場記の出版年は西暦1771年で、十辺舎一九の金草鞋の坂東順礼の出版年の西暦1817年より46年前のことで、この時代より下図の札所順が一般的であったことが推察されます。

<参考> 著者 沙門亮盛について
・ 亮盛(りょうせい)は、二郷半領幸坊村(現埼玉県三郷市)出身、江戸時代中期・後期の真言宗豊山派僧侶で、
大和長谷寺にも登学しています。
・宝暦9年から明和8年まで山口(所沢市)の金乗院に住み、本霊場記はこの間に著しました。
・金乗院は、武蔵野三十三観音霊場の一つで13番 山口観音とも称されています。住所は所沢市上山口 野球でおなじみの西武ドームの前です。
・坂東三十三所観音霊場記は、初版の名和本とその後に再版された寛政本(5冊)がありますが、寛政本と思われるものが埼玉県立図書館のデジタルライブラリーにあり、インターネットで見られます。

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