b.独案内の飯沼~千葉の最近のブログ記事

独案内の飯沼観音~千葉寺間

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〇H19.12.29  マルセさんからのアドバイス
  つりとのは、いハとみ(岩富)の誤字ではないか。

<書庫整理係のコメント>
 岩富は、千葉からの距離3里半がほぼ一致していることと、富士見13州輿地全図の内安房・上総・下総三国図(天保14年、人文社)において、このルート上の村落(千葉~吉岡~馬渡~岩富~埴谷~古和~猿尾) の一つとして描かれており、想定されるところです。これまでのお悩み解消ということになります。


〇坂東順礼独案内(江戸両国 大黒屋平吉板)の
   27番いい沼~29番千葉寺間ダイレクトルートの現在地図への置換え  
 H19.5.20

1.まえがき
 第1図に示す坂東順礼独案内(江戸両国 大黒屋平吉板)の27番飯沼観音~29番千葉寺間のダイレクトルートについて、文献調査結果などをまとめたものです。

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第1図 坂東巡礼独案内図(江戸両国 大国屋平吉板)

いい沼から千葉寺(抜粋、人文社)

2.調査結果
a.玉さき
 現在の旭市飯岡
旧郷社玉崎神社(祭神玉依姫命)、門前町、銚子街道宿場の一つ
b.わしと
 現在の旭市網戸(あじと)
銚子街道宿場の一つ、猿田方面(海産物輸送)と飯岡方面(旅人道)への分岐点
椿の海の沿岸、葦草が多かった。弘願寺(現在廃寺)の門前町
c.よこしば
 現在の横芝
 多古への街道の分岐点。
d.はんや
 現在の山武市埴谷(はにや、地元では訛って「はんや」と言う)
アララギ派歌人蕨真(わらびしん)の生地、しだれ桜の長光寺の門前町
e.つりとの
 次の説があるが不明。
・千葉市中央区鶴沢町鶴ヶ沢では?
・四街道市吉岡に「きたどの」の小字名があるが? 「北殿→つりとの」と変化。 
*国道51号線と県道66号線の接続地点付近

3.説明
・調査にあたっては、旭市図書館と千葉博物館のご協力を得ました。
・不明の「つりとの」については、前述のとおり2つの説がありますが、距離的に「はんや」と千葉寺の中間地点(3里半)ということから考えると千葉寺側過ぎることになります。
・独案内の図ではルート全体が下総側に位置しているが、今回の調査結果では上総の八日市と成東間の横芝(銚子街道に位置する)から分岐し下総に入っており、疑問の残るところである。
・第3図に示すAルートは、「つりとの」が不明の中での本命ルートと想定しました。これは、富士見十三週輿地全図の内安房・上総・下総三国図(天保14年 1843年(明治維新の25年前))において、このルートが明示されていることによります。
同図では、猿尾(松尾))~植谷~岩富~馬渡~吉岡~千葉で示されているが、馬渡~吉岡~千葉間は佐倉街道(千葉~佐倉)でもある。なお、馬渡は現在の国道51号線と県道22号線の接続地点である坂戸と同じ地点に位置します。
・坂戸の接続地点付近には、道標などが11基近くあるようで、昔から街道の接続地点であったようである。
延亨5年(1748)に設置されたものには、右 成戸(成東?) 八日市 いいぬま道、左 成田 なめ川 かしま道 と記されており、この時代に既に街道であったことを示している。
・「つりとの」が確定出来ない中での別ルートとしては、植谷からのB1、B2ルートによるルートも考えられる。なお、このルートのJR日向駅~千葉寺間は、OSさんが歩いておられます。
 この他にも、Aルートの坂江からB2ルートへ合流するルートなどいろいろ考えられるところです。
・「つりとの」は、平安時代の寝殿造りにおける泉殿、渡殿、釣殿の釣殿(つりどの→つりとの)からの名前ではないかとも推察されますが、推察の範中です。
・TEさんがこのルート全体(飯沼観音~千葉寺)を歩いておられます。TEさんの見識の深さに脱帽です。

dokuchoshichibazu1.jpg 第2図 現在の地図への置換え(銚子~横芝)
  地図使用承認C昭文社第05E001号

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第3図 現在の地図への置換え(横芝~千葉寺)
地図使用承認C昭文社第05E001号

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