d.銚子街道の道標の最近のブログ記事

願主眞永が建立した銚子街道の道標 

|

*H27.10.1 追記
加来さんから、道標建立の願主である真永は、どのような人であったかの情報をいただきました。ありがとうございました。
 平成9年11月23日の常総新聞に、海上郡誌に「大僧都(*僧正に次ぐ第二の僧階)海円上人の設けしものなり、上人は椎柴村塚本の人、28歳にして仏門に入り真永といいのち海円と改む」とあり、銚子市塚本町に御子息が現存し位牌、巻物などを所有しているとの記事がある。なお、道標は全部で13基あったが、13里道標は平成13年頃に盗難にあったとのこと。ところで、当初、道標は江戸の浅草寺まで計画されたようだが、資金難で滑川観音までになったようである。
 

*H20.9.14追記 
 加来さんから、交通事故のため仮置きされていた5里道標が、復旧した旨の連絡と写真を送って下さいました。ありがとうございました。この復旧は東庄町教育委員会をはじめATさん、加来さんのご協力、ご努力によるものです。ありがとうございました。これで全12基が完全に揃いました。

*H20.4.26追記
 加来さんが11里道標の現地確認をされ写真を送ってくださいました。叉、願主の文字も確認されました(真永のようです。どうも混用されているようです)。加来さんありがとうございました。

 これで全12基の現地確認ができました。万歳・万歳。
 ATさん、加来さんを始め成田市、神崎町、香取市、東庄町、銚子市の関係者の皆さんのご協力の結果です。ありがとうございました。 224年前の願主眞永の願い・思いが、これからも巡礼者の道しるべとして生き続けていくことでしよう。

*H20.4.18追記
 加来さんから連絡をいただきました。「願主の名前は、銚子市教育委員会の調査では3里と4里は眞永、房総石造仏研究会の調査では9里と10里は真永であった」。加来さんありがとうございました。
 資料によっては真水の記述もあり困っていたところで、サイト内を眞永で統一することにします。金田さんの資料は真永になっていました。

*H20.4.16追記
・11里道標位置 加来さんから文献情報をいただきました。その内容から位置を推定しましたが、どなたか現地確認されましたらご連絡をお願いします。加来さんありがとうございました。

*H20.3.28追記
・ATさんが8里の道標を発見されました。これまで探していた所より滑川観音側でした。
 叉、12里道標も、眞永のものであることを確認されました。
 これで11里を除き他は現地確認ができました。ATさんありがとうございました。感謝、感謝

*H20.3.6追記
 ・11里の埋没部の文字が判りました。この内容から眞永の道標ではないことが判明しました。したがって、11里は現状は不明ということになりました。;

*H20.3.2追記
・ATさんが巡礼において確認されました情報にもとづき、8里~1里の位置確定と写真を添付しました。ATさん情報提供ありがとうございました。これで全12基の現状把握ができました。
・12基の内、再調査・探索などのペンディング事項のある道標は次のとおりです。
 12里 小堂の扉を開けての記載文字の確認
 11里 埋没部の文字確認と保護
  8里 不明のため探索
・本道標は、12基という数ばかりでなく、天明3~4年に巡礼道が存在していたことを証明するものとして、文化財的価値が高いと考えられますので、関係機関に保護をお願いしていきたいと思います。

*H20.2.26追記
・ATさんから、5里道標が交通事故のため損傷し倒れている旨の連絡ありました。本件については、地元の東庄町教育委員会へFAXで連絡しました。現地確認し対応するとの回答がありました。

*H20.2.25追記
・8里が不明です。ATさんが文献情報にもとづき線路土手を再三調査されましたが発見出来ず。
・11里は頭部のみが露出で、埋没部の確認必要です。
 情報や発見があればご一報下さい。コメントから。

*H20.2.20追記
 ATさんが巡礼において確認されました情報にもとづき、12里~9里の位置を確定するとともに写真を添付しました。ATさん情報提供ありがとうございました。
 11里道標は頭だけで下部は埋っております(折損かもしれませんが)。露出部の観音像のお姿から眞永の道標と推察されますが、下部の確認が必要です。

    願主眞永が建立した銚子街道の道標     H19.8.18

 銚子街道(現国道356号)の滑川観音から飯沼観音間には、願主眞永が天明3~4年(1784~5、明治維新の84年前)頃に建立した道標が12基建っています。
 この道標には全て「飯沼観世音江何里」と飯沼観音までの里程が示されています。
 このことは、この時代には利根川に沿った巡礼道が存在し、大いに使われていたことを示しています。
 文献調査結果にもとづく12基の位置は、以下のとおりです。

*願主眞永について  H20.4.18追記
 どのような人であったのかを調査中ですが、「千葉県歴史の道調査報告書三 銚子街道 千葉県教育委員会 S62.3 P42」に、「願主眞永は「三里」目の碑の建っている、銚子市富川町付近の者と云うが確認はされていない」の記述があります。

〇滑川観音から飯沼観音方向へ
*H20.9.14追記 以下の地図には、ATさんと加来さんからの現地確認情報を反映してあります。

・12里 (小堂の中)

shinsui12ri.jpg

・11里  (ルートより少し奥のT字路部)

shinsui11ri.jpg

・10里 (満福寺門前の左側)

shinsui10ri.jpg

・9里 (道路T字路の角。電柱の影にあります)

shinsui9ri.jpg

・8里(踏み切りの手前、線路の土手)

shinsui8ri.jpg

・7里  (諏訪神社の手前)

shinsui7ri.jpg

・6里 (道路北側です。アタリヤ農園の看板の約100m手前)

shinsui6ri.jpg

・5里 (神社の角。交通事故後の改修後)

shinsui5ri.jpg

・4里 (東庄町と銚子市の境界の銚子市側。畑と雑木林の境)

shinsui4ri.jpg

・3里 (富川町バス停の手前約25m。ブロック塀の中)

shinsui3ri.jpg

・2里 (高田農協バス停の脇)

shinsui2ri.jpg

   ・2里道標の再建の記録 (2里道標の基石側面に刻まれています)

saiken2ri.JPG

・1里 (長塚神明神社境内、入り口の左側)

shinsui1ri.jpg

・アップ写真(1里~6里)

shinsuiup1.jpg

・アップ写真(7里~12里)

shinsuiup2.jpg

〇願主 眞永(真永)の文字(5里は眞永、10里と11里は真永)

namae3ko.jpg 

カテゴリ(目次)