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坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~姉ヶ崎の内 小櫃川~姉ヶ崎)     H18.1


1.調査目的
「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
<参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  高倉~大曽根~姉崎
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」 高倉~大曽根~姉崎
(3)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」 高崎芳美 千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 2004.11
(4)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(5)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(6)大日本帝国陸地測量部 5万分の1 明治36年測図

obituanesakigai.jpg                    第1図 概要図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

2.調査年月日と概要
・平成17年12月9日(金) 晴れ JR久留里線横田駅から折りたたみ自転車で滝の口へ、そこから前回とは逆方向に旧道ルートに再挑戦。入り口探しと悪路に苦労したが、道標に遇うことにもできて旧道の雰囲気を十分味わえた。
 高速道路工事中の箇所からはCルート(笹子)を調べながら大鳥居(小櫃川)へ。
・小櫃川からは大曽根、鎌倉街道、袖ヶ浦浄水場などを経由してJR内房線姉ヶ崎駅までを調査。 
・前回を含めた上総湊~鹿野山~小糸川~高倉観音~小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎間の旧道をベースとしたルート は、千葉県立中央博物館の高崎氏の発表資料「文化セミナー千葉講座(道標でたどる古道高倉道の場合)2004.11.20」及び同氏から送っていただいた君津市立久留里城址資料館「平成11年度企画展(鹿野山紀行)1999.10 を参考にした直線ルートである。
・なお、このルートは「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の方言修行金草鞋第十七編「こみなと参詣房総往来記」、第十編「坂東順礼」などに記載されているルートであると推察される。

*高蔵寺~小櫃川は別報告による。

obituanesakizu1.jpg                       第2図 小櫃川~鎌倉街道

obituanesakizu2.jpg                      第3図 鎌倉街道~姉ヶ崎

3.調査結果(総括)
・⑦地点及び袖ヶ浦浄水場脇部の旧道はバリケートで閉鎖されており通行不可である。これはゴミの不法投棄を防ぐためのようである。千葉県では車の通れるところはゴミの山になってしまうようで、鹿野山付近でも酷い現場があちこちにみられた。
・この小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎区間は、一般的な巡礼道として取り扱える。
・今回調査した「たかくら道」と同じ姉ヶ崎を起点とする別ルートとしては、第1図に示す「県道24号、33号ルート」が考えられる。このルートはTEさんが歩いている。

4.現地での聞き取り調査結果など
①地点 上望陀 昔の小櫃川渡しの取り付き村。道標が4基あるとのことであるが、地図での場所を間違えていたため発見できなかった。長楽寺、長徳寺ほか。
・郡札 十三番 長楽寺   南 たかくら   北 ちはてら 弘化2年(1845)
・東 ちば・・・、 南 た・・・ 、 西 なかじ。*ちばてら、たかくら、なかじまと推察される。
・東 ちば道七里、 南たかくら道二里、 西 きさらす二里、明和3年(1766) 
・青年団道標  昭和2年(1928)
②地点 道標   東笠森四リ、是より西高くら二リ、北ちば道六リ、宝暦10年(1760) 
③地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・東 くるり四里、 西 たかくら二里半余、 北 ちば道六里、宝永元年(1704)

obituanesaki1.jpg④地点付近 道標が3基あるとのことであるが2基しか発見できなかった。
・南 たかくら道二リ半、 北 ちばたら道 六リ半、文化8年(1811)
・方 ちば・、 八王寺(*北西方向の野田神社とのこと)
・青年団道標 北 約一町左折し坂道ヲ上リ姉崎町ニ至ル、大正10年(1931)*南と西は省略。
*このあたりには門構えの立派な屋敷が多い、小櫃川がもたらした広い水田の恵みであろう。
⑤地点 蓮華寺入り口 道標?

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⑥地点 神社東側の墓地  神社から墓地への細い急な登り道あり。墓地内を通過して⑦方向へ。
⑦地点 旧道の入り口はバリケートで閉鎖されていた。ゴミの不法投棄防止か?
⑧地点 鎌倉街道に出たところ  道標3基あり。
・南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明
・南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明 
・青年団道標 北 ・・・・・ヲ経テ姉ヶ崎駅に至ル二リ、 南 約七町ニシテ大曽根部落に至ル、大正12年(1921)
⑨地点 鎌倉街道の姉ヶ崎方面曲がり角   南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明 *高速道路工事で移設されたものか?  道は掘割になっている館山自動車道を「鎌倉道橋」で渡っている。
この地点から姉ヶ崎間の道は、明治36年の5万分の1地図と同じである。館山自動車道建設で変わっていない。

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⑩地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・北 ちはてら道、 南 たかくら道、西 のたみち、文政13年(1830) *外野公民館
⑪地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・北 ちばみち、 南 たかくら道、経年不明
⑫地点 袖ヶ浦浄水場入り口左、 南 たかくら道、 北 ちばてら道、寛政8年(1796)

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⑬地点 道標 これより 江戸ミち、 これより たかくら道、安永5年(1776)

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⑭地点 端安寺 道標、お寺の前の通りは房総往還 
・是より ちばてら四里八丁、 たかくら 四里、文政元年(1818)
・右 きさらづ、ぼう志う、  左 たかくら、くる里、天保ニ年(1831)

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5.まとめ
a.小櫃川(大鳥居)~鎌倉街道--- 第 2図参照
・ルートとしては、第2図に示すルートで基本的にはOKであるが、⑤地点の墓地を通過する道は分かりづらいので、④地点からのぞみ野住宅地の北側部道路か神社北側の道を選ぶことがベターであろう。
c.鎌倉街道~袖ヶ浦浄水場~姉ヶ崎 --- 第 3図参照
・ルートとしては、第3図に示すルートで基本的にはOKである。
 前述のとおり袖ヶ浦浄水場の旧道は通行止めである。

<参考> 端安寺(ずいあんじ)には、この地にも及んだ戊辰戦争で亡くなった地元鶴牧藩士5名の墓碑がある。

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