h.高蔵寺~地蔵堂の最近のブログ記事

・H26.7追記  

 第1図のBルートを滝山さんが通られました。状況は?

H21.4.8 現地調査

 高蔵寺~笠森寺の 高蔵寺~下郡~地蔵堂(その2)  「追加調査結果」

・調査結果(その1、H19.4.22)をベースに、その後の状況を追加調査したもの。
・本内容は、(その1)の内容をベースに、変更点、追加情報・写真などを追加するかたちで整理しており
、地点番号などは(その1)に合わせています。したがって、本調査結果だけでなく(その1)も見て下さい。(カテゴリは同じにしてあり、下側にあります)
・今回の調査における特記事項としては、前回には通行が難しかった・出来なかった、BルートとA2ルートが通行できるようになったことです。なお、両ルートの歩行のみの区間は林の中の細い道ですので、地図とコンパスを携帯すると安心? して歩けるのでは。

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     第1図 内房変電所付近

a.Bルート
・③地点からの右側(Bルート)の変電所脇は、入り口部の竹が切られて通路確保されていました。
・道順は、Y分岐部から右に入り10m程進むと変電所の鉄線柵が現れ、柵沿いに道があります。ここのY分岐部も右へ進みます。少し急な下り坂(谷状)を鉄線柵を左にしながら進めば林間の出口至り、右側に溜池が現れます。落ち葉が深く積もっていて雨上がりなどでは靴が濡れるかも。
b.A2ルート
・このルートの林の中の道(a~b間)は、前回は通行不可でしたが、低雑木などが切られて通路確保されていました。
・道順は、変電所の門の前に出たらUターンする感じで門の中に入り、広い舗装道を進むと左側にカーブミラーが現れ、そこが入り口です(a点)。左折して入ると右側は鉄線柵です。20m程進むと鉄線柵がなくなり、林間の細い道になります。そのまま東方向に進むと軽自動車の通れる道に着きます(b点)。ここは視界が開けていて前は林業試験場の試験林です。進行方向は、地図では直線的ですが、現地は右折気味です。緩い下り坂を進むと林業試験場にぶつかり、そこを左折し進めば④地点に至ります。その後は舗装された道を地図にもとづき進みます。

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         第2図 JR馬来田駅の近く

a.国道410号線の巡礼道に入る少し手前では、高速道路の工事中でした。
b.この辺りでは特別な変化はありませんでした。なお、12地点の道標(地蔵小堂)は、進行方向からは背の高い垣根の影で見つけづらい状況にあります。

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◎H21.4.8 追記  再現地調査を実施 (その2)を見てください)

◎H19.9.13 追記  岩さんよりの道路通行情報
 高倉観音~下郡間の変電所への突き当たり地点(第2図の③地点)を通ったが、Bルート側は倒竹が多く入り口が見つからない状態にある。通行は難しい。特に荷物を背負っては。


                                                                                                                  平成19年4月22日
坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~笠森寺の内 高蔵寺~下郡~地蔵堂(その1))

1.調査目的
高倉観音~笠森観音間において、巡礼古道と言われているルートについて、文献調査と現場調査を行った。その内の高倉観音~地蔵堂間を整理したもの。
なお、本調査は、参考文献(2)~(5)を参考に実施している。資料提供して下さった高崎芳美氏、安藤道由氏にお礼を申し上げたい。
 <参考文献>
(1)復刻古地図 天保14年(1843)「安房・上総・下総三国図」 人文社
(2)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 高崎芳美 H16.11
(3)「富来田の古道(2)」 (残された古道・道標)  富来田公民館 安藤道由 H15.8
(4) 歴史の道散策 「巡礼街道を歩いてみよう」 Ⅰ~Ⅲ 鎌足公民館他3館共催 H16.1~H17.11
(5)木更津市史資料抄報Ⅱ 富来田地区石造文化財調査 木更津市教育委員会 昭和59年3月
(6)復刻古地図 江戸末期「坂東巡礼独案内図」大国屋平吉板 人文社

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第1図 概念図(地図使用承認C昭文社第05E001号)

2.調査年月日と概要
・平成18年2月6日(月) 曇り時々雪 JR木更津駅からバスで高倉観音へ、折りたたみ自転車を使って調査。馬来田、音信山経由で上総牛久あたりまで調査する予定であったが、道が荒れていた(廃道に近い)変電所付近での調査に手間取ってしまい、上総牛久までの調査は時間的に無理と判断し馬来田までとした。なお、帰るには少し時間があったことから、前の調査で見落としていた大鳥居付近(約4km先)の道標を調査しながら帰った。
・馬来田~地蔵堂間は、平成19年4月15日(日)の調査結果にもとづく。

3.調査結果(総括)
a.本調査ルートは、本調査結果によるまでもなく、地元(地域)において巡礼古道として認識されていること、叉、道標などから、高倉観音~笠森観音間の巡礼古道として位置づけされる。
b.③~⑤地点間は、変電所のため巡礼道が分断されており、左右どちらかに逃げざるをえない。
・右方向(⑨地点方面、Bルート)は、変電所のフェンス沿いの空間を利用すれば何とか通行は可能であるが、道というものではないことから一般の人には勧められない。
・左方向(川崎方面、Aルート)は、軽自動車が通行可能な道で、こちらを推奨する。写真参照。
c.参考文献6「坂東巡礼独案内図」には、高倉観音~笠森観音の道は描かれていない。
d.参考文献1「安房・上総・下総三国図」には、高倉観音~真理~真理谷~栢橋(かやはし)~国吉~牛久~国道409号線沿いの村落~笠森観音の道が描かれている。なお、高倉観音~真理間の通過村落は描かれていない。

takakurajizozu1.jpg                               第2図  高倉観音~地蔵堂間(その1)

takakurajizozu2.jpg                             第3図  高倉観音~地蔵堂間(その2)

4.現地での聞き取り調査結果など
①地点 道標(六地蔵、振袖地蔵と呼ばれている) 久留りへ二り、此方 かさも里へ五里、たかくらへ五丁。高さ143cm。安永3年(1774)。
*暴漢に襲われ殺害された娘の菩提を弔うため村人達が建立したもの。

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②地点 道標 東此方かさもり、西此方たかくら道、北此方木更津みち。享保2年(1717)。2本に折損。
③地点 変電所への突き当たりのY分岐地点。左(川崎方向)は軽自動車通行可。右(田川方向)は道が殆どないが、変電所のフェンス沿いに何とか通行は可、緩い下り、一般の人には勧められない。

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④地点 道標(庚申塔) 左 高くら道、右 かさもり道。高さ63cm。時期不明。

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⑤地点 道標2基。
a.聖観音 加さも里道、たか具ら道、文化5年(1808)、高さ57cm。
b.光明真言塔 此方かさもり道四り、此方高くら一り、かのふ山三り。文政11年(1828)、H=100cm。

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⑥地点 妙真寺。道標(地蔵菩薩)、台座部分、東かさもりへ四り、西高くらへ壱里、文化・文政期?

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⑦地点 善鐘寺。道標3基。
a.庚申塔 たかくら道、かさもり道。元は小櫃川近くにあったが昭和23年に現在地へ。高さ75cm。
b.六地蔵 西たかくら道、東かさもり道、宝暦6年(1756)、元は小櫃川近くにあった。高さ138cm。
c.地蔵菩薩 此方たかくら道、文化13年(1816)。高さ95cm。

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⑧地点 下郡橋。川は小櫃川。
⑨地点 田川地区、薬師堂。

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⑩地点 久留里線の踏み切り
⑪地点 善雄寺。道標(六地蔵)、これより内十八丁川道、西たかくら一里十八丁、か乃―道、これより十七里きたゑど道、これより三里半ひ加しかさもり道 此内二里○○、これより二里南くるり道。元は久留里街道沿いにあったと考えられている、元禄15年(1702)。高さ96cm。

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⑫地点 道標(地蔵菩薩)台座部分、東ハかさもり三里、南はたかくら二り、享保9年(1724)。簡易な堂あり。H=155cm。

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⑬地点 道標2基。(第4図参照)
a.道標(台座のみ) 西ハ高くら道二里、北ハかさもり道四里。
b.道標(観音像) 此方笠森道三里半、従是真如寺道八丁。天保7年(1836)
*真如寺分岐部から移設されたのではと言われている。
*この地点より北方向に進み四空野を経由して国道409号線の栢橋(かやはし)に出て牛久に至る道がある。地元において牛久道と呼ばれ、文献1「安房・上総・下総三国図」にも描かれている。
⑭地点 地蔵堂のY字路 県道168号線から169号線の分岐(丹原、大蔵経由で牛久へ)

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  第 4図  ⑬地点の道標位置詳細

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