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現地調査結果(鹿沼~大谷寺)

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  坂東順礼道の現地調査結果(鹿沼~大谷寺)  H20.12.14

1.調査目的
「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
<参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」 
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」 出流寺~大谷寺
(3)「かぬま郷土史散歩」 柳田芳男 晃南印刷 1991年

kanumaooyagaizu.jpg                       第1図 鹿沼~大谷寺 概要図

2.調査年月日と概要
・平成20年12月12日(金) 晴れ 鹿沼へ用事で出かけた後に歩いて調査した。出発が遅かったことから、
バタバタしながらの調査であった。距離は「坂東順礼(十返舎一九)」 によれば2里半である。
・急いだせいか道を間違えた。等持院の手前80m程のところで国道から旧道に入らなければならないところを 、そこから50m程手前の耕地整理後の直線農道に入ってしまった。2万5千分の1地形図が未修正であったためで、農道の先端で道が細くなり、地元のおばちゃんに道を聞いて旧道に戻ったが、廻り道と時間のロスばかりでなく、旧道の調査を十分できなかった。その後の大谷寺までは時間を気にしながらの急ぎ足で、ポイントでの写真撮影を忘れた。*帰ってグーグル地図と航空写真をみたら、現地のとおり直線農道が表記されていた。 


3.調査結果
a.
第1図の② 府中橋先の武子川を渡った坂道右がわの、共同墓地の角に道標が2基ある。これは道端から移されてきたものとのこと、一つは正徳甲午年(1714年)の百番巡礼供養塔で、「大やかんのん道」と刻まれている。もう一つは寛政12年(1800年)の庚申塔で、「此方宇都宮道」、「此方大谷道」と刻まれている。この地が大谷寺と宇都宮への交通の要衝の地であったことを示している。

b.第1図のJR日光線の横断部は、旧道が道なりに線路まで続いているが線路で行き止まりである。国道に出たら左側へ歩く必要がある。
c.第2図の⑤に木喰薬師堂がある。質素なお堂であるが栃木県指定文化財で、木喰上人作の薬師如来坐像、脇持日光菩薩、月光菩薩、12神将立像(15体)が祀ってある。安永9年(1780年)、木喰上人65才の時の作とのこと。
d.皐月栽培に不可欠といわれる鹿沼土の採掘場と、発掘した土を自然乾燥させるためのビニールハウスが点在していた。
e.勝善神と馬力神の碑があった。当方としては初めて見るもので、調べて見ると次のとおりであった。勝善神は牛馬の守護神で仏教系の馬頭観音に対する神道系のもの。馬力神は馬の守護神で愛馬の供養のため建てられ明治時代の建碑が多い。栃木県や宮城県に多く見られ栃木県には274基ある。
f.等持院の手前から大谷寺間の旧道は、地図において、大谷寺から逆にルートを見た場合に、道の形状、巡礼道の近道理論などから旧道ではと判断したものです。国道を歩きを避けたい方にお奨めですが、難しく考えないで歩く方法を選ぶなら国道歩きとなります

4.現地の状況

kanumaooyazu1.jpg                  第2図 現地地図-1

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                  第2図 現地地図-2

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