a.北向地蔵と六道の辻の最近のブログ記事

 「北向地蔵」 と 「六道の辻(六本辻)」      H19.8


 坂東巡礼のルート上に「北向地蔵」と「六道の辻(六本辻)」があります。
 これまでの情報をもとに整理してみました。これ以外にもあるようでしたらご連絡下さい。

1.北向地蔵 
ルート上(近く)に4ケ所鎮座されています。巡礼の安全をよくお祈り下さい。

(1)保土ヶ谷の「北向地蔵」
 14番弘明寺から13番浅草寺へ向かって歩きはじめて少しの、JR保土ヶ谷駅の手前の横浜清風高校脇の交差点に鎮座されています。
 地蔵が見守るこの道は「かなざわかまくら道」として古くから多くの人に利用されてきました。
 ここは「かなざわかまくら道」の分岐点であり、地蔵の角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金沢方面と弘明寺方面への道しるべにもなっています。
 この地蔵が享保2年(1717)に建立されたいきさつとして、次のような話が伝えられています。
 「この付近で、道に迷った旅の僧が途方に暮れていると、近くの寺の住職が現れて寺に泊めてくれました。住職が言うには「道に迷って困っている僧がいるので救いに行くように」と夢の中で地蔵に告げられたとのことでした。それを知った旅の僧は、地蔵に対する感謝と旅の安全を願う気持ちから、自分の持ち物を寄進して、北(江戸)を向いた地蔵を建立したそうです。
 その後、修繕の時などに地蔵の向きを変えても、いつの間にか北向きに戻っているので「北向地蔵」と呼ばれるようになりました。」
 なお、弘明寺からこの地点までの旧道は、高速道路や宅地開発などでズタズタになってしまっているようです。
*言い伝えは保土ヶ谷市のHPから引用。

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(2)吉見の「北向地蔵」
 11番安楽寺から10番正法寺(吉見百穴)へ向かって1.2km程歩いた交差点に鎮座されています。この交差点には八坂神社の入り口もあります。
 台石左面に「いわむろ山くわんおん道」、右面に「比企くわんおん江」、正面に「よしみくわんおん道」と刻まれ道しるべにもなっています。
 観音霊場めぐりの巡礼者達の信仰を集めてきましたが、この地蔵を信仰すると占いが良く当たるというので、占師の信仰が厚いといわれているそうです。

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(3)三門の北向地蔵     H20.2.8追記
 32番清水寺から東方向(海方向)へ歩きJR三門駅に出たところに鎮座されています。ルートからは150m程離れておりますが、時間に余裕があれば順礼の安全をお祈り下さい。ここから那古寺への道には、交通安全に気を使う箇所が多くありますので。
 このお地蔵さまの「言い伝え」などについては、いすみ市教育委員会社会教育課からいただいた情報では、「関連する資料や言い伝えは確認できなかった」とのことです。

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(4) 蒲生の喜多向地蔵 H21.3.30追記
13番浅草寺から12番慈恩寺へのルートの、蒲生の地蔵院(綾瀬橋から約300m先、左側)の境内にあります。院へ電話で問い合わせたところでは、古くから北向きで、地域での信仰対象であったこと、近年では子授かりのご利益とのことでした。
本地蔵の存在情報は、巡礼中のマルセさんからいただきました。

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2.「六道の辻」 
 道が2本交差することはごく一般的ですが、3本が同じ場所で交差することは珍しいことです。その希少性と六方向への別れ地点になるからなのでしょうか、仏教的意味を被せて「六道の辻」と呼ばれることがあります。
 「六道」とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界のこと。つまり、この場所こそ、あの世とこの世をへだてる境界だ、ということのようです。お墓の入り口に「六道」と書いた立て札を見ることがあります。
  魔界に迷いこまないよう、よくお祈りしながらお通り下さい。

(1)宮沢の「六道の辻」
 8番星谷寺~14番弘明寺間のほぼ中間、新幹線を渡る手前で、横浜市瀬谷区南瀬谷2丁目にある日向山小学校の東側です。
 ここを通る道は、古くから「星の谷道」「弘明寺道」と言われていました。
巡礼道は、北西方向から南東方向へ真っ直ぐ進みます。

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(2)高浜の「六本辻の道標」
 9番慈光寺~15番長谷寺(白岩観音)間の15番の近く長野新幹線の手前です。
地元教育委員会の説明板によれば、「六道の辻」ではなく「六本辻の道標」と示されています。
説明板には「平らな自然石に方向を刻んだ踏み石型(磁石型)の道標。六方向を放射状に「志らい王」、「のみち」、「高さき」、「やはた」、「むろ田」「はるな」を示している。大きさは、70cm×80cm、厚さ40cm。文化十酉年が記されている。・・・・ (文化10年(1813年、明治維新の55年前))

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(3)国定の「六道の辻」
 16番水沢寺~17番満願寺間のJR両毛線国定駅から南西方向1100m程のところです。
国定忠治の墓が近くにあり、ルートの取り方によってはルートから少し離れるかもしれません。
この地域は、江戸時代には交通の重要な要所でしたので、幕府直轄の天領となっていました。
 通称あづま道と、足尾銅山と世良田の平塚河岸を結ぶ「かしけど(河岸街道、初期の銅街道の一つ)」の2本と、さらにここを起点とした武蔵国秩父、中瀬へ通じる熊谷道と観音坂を越えて足利、古河方面通ずる2本が新たに発する交通の要衝だったようです。
 建柱時は現在地より6m南の道中央にあったそうです。

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(4)伊奈の「六道の辻」   H19.11追記
  慈恩寺から安楽寺へのルート上の埼玉県北足立郡伊奈町寿2丁目に、六道という名の交差点があります。また、近くには六道という名のバス停や交番もあります。
 現交差点は五道(変則六道)ですが、地図でみるとかっては六道であったことが推察されます。道路整備などで変わってしまったのではないでしょうか。
 ところで、地元の伊奈町役場(歴史遺産管理の方)に問い合わせたところでは、「六道??」でした。叉、石碑なども残っていないとのことです。
 六道の成れの果て?のようですが、六道といえるでしょう。少し移動してしまったと思われる1本に迷いこまないよう気をつけてお通り下さい。

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(5)飯能の「六道の辻」    H20.1.12追記
  8番星谷寺~9番慈光寺間の飯能にあります。 地元の飯能市郷土館から頂いた情報では、六道は地名で小字だそうです。
 庚申塔が建っており、安永6年(1777年、明治維新の81年前)、道標を兼ねており台座には、南 八王子 大山道、北 おごせ 上州みち、西 はんのふ ちゝぶ道、東(判読不能)と刻まれています。
 飯能は今も昔しも秩父への入り口です。江戸期の代表的な三つのルートの一つで、飯能を通る道は吾野通りと呼ばれていました。

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H21.7.22追記 マルセさんが6月に現地を通られ情報と写真をいただきました。
 東の判別不能については、所沢ミち 江戸ミち とのことです。ちヽ婦道、於ごせと彫ってあるそうですが、読むのに楽しくなりますね。

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(6) 清水の「六道の辻」    H20.8.13追記
提案ルート外の19番大谷寺~20番西明寺間の益子(西明寺)に近い清水という交差点です。六道の名前ではありませんが六交差点です。
地元の真岡市文化課からいただいた情報では、言い伝えや道標などはないようで、その少し北東には宝きょう院塔や二十三夜塔があるようです。

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(7)鎌倉由比ガ浜の「六道の辻」 H21.4.29追記   マルセさんからの情報
 ルート上の4番長谷寺の手前、六地蔵という名の交差点です。六道の名前ではありませんが六道の辻といえるでしよう。少し変則的ですが道路整備で変わってしまったのでしよう。
 六地蔵さんがあり、このあたり一帯の地名にもなっています。鎌倉時代にこの地のやや北によつたところに刑場があり、この刑場跡に罪人の霊を弔うために祀ったのが六地蔵のはじまりで、後に人通りの多いこの地に移されたとのこと。

六地蔵と六道、つながっていますね。変則的な道に迷いこまないよう、よくお祈りしてお通り下さい。

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(8)板仏の「六道の辻」  H21.7.22追記 *マルセさんが6月に現地を通られた情報(写真)

提案外ルートの星谷寺~慈光寺間で、高麗川駅の800m程先の「板仏」交差点直ぐ左側を通っている旧道にあります。道標はありませんが「四本木の板石塔婆」と呼ばれる鎌倉時代の大きな板碑があります。阿弥陀さまの板碑です。昭和時代に建立されたお地蔵さまもおられます。

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