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坂東巡礼の感想分 (1/2)

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                坂東巡礼感想分 (1/2)
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        *平成10年6月にワープロで制作した巡礼記を、プログ用に構成変更したものです。

<まえがき>
 この巡礼記は、坂東三十三ケ所観音霊場の歩行記録です。
 巡礼中に用いた地図(国土地理院の5万分の1)に記載していた歩行時間と、印象に残った事のメモを整理したものです。
  歩行記としては、平成5年5月にまとめた「四国八十八ケ寺歩き遍路記」に続く二冊目で、私くしの思い出として、足跡を整理してみました。
 歩行は、住まいの深川(江東区)と舞浜(千葉県浦安市、途中で転居)からの日帰りを基本に、その回毎に前回の歩行終点から歩き続けることにしました。(当然ながら、そこまでは交通機関を利用します)
 ルート取りは右まわりとし、地図とにらめっこしながら、全体の歩行距離が最も少くなるであろうと考えられた、第14番札所「弘明寺」を発願寺としました。
 歩行記録の概略をまとめると、

 (1)巡拝に要した年数は、7年間(平成3年~9年)。
 (2)出かけた回数は33回。延べ歩行日数は、36日(全日31日、半日5日) 宿泊3回
 (3)歩行距離   1,108Km
   *国土地理院の5万分の1地図での、地図上の距離。
   *回毎の起終点が駅・バス停等になるため、若干の廻り道をした日もある。
 (4)平均歩行距離  33 km/日、(最大46km/日)
 (5)使用した地図  国土地理院の5万分の1地図  48枚

*歩行距離は、ガイドブックなどによると330里(1300km)と言われていますが、これは道路整備がされていなかった昔のものと考えられる。又330里の数字が観音霊場の33ケ所の数字と一致することのは、偶然というべきか、それとも私の考え過ぎか。

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< 坂東巡礼の感想文 (1/2) >
 歩行の都度に地図の端や裏側に残しておいたメモを読み返して、印象に残った事項を感想文として整理してみました。


(1)観音様の現世ご利益(その1)

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 坂東巡りでの一番の特記事項は、道路際の土手に散乱していた千円札を7枚も拾ったことです。観音様の現世ご利益そのものでした。
 場所は栃木県馬頭町の国293号と国461号を接続する県道(?)の、健武の大島付近の人家の無いところで、歩いていて紙切れのゴミと見えたものが、近づいたら、見慣れた千円札に似ており、「アレアレ」ということで手にして確かめてみたら、本物であったわけです。
 この最初の一枚を確認すると同時に、次の行動は当然ながら「まだあるのでは?」ということで、3~4mの範囲を見回したところ、さらに2枚ありました。
 こうなったらもうだめです。欲望の炎がメラメラと燃え上がってきました。道路反対側の土手も含めて近くの50mぐらいの範囲を、目を見開いてしっかりと捜すことにしました。
 「千円札があるなら万札もきっと在る」と心で念じながら。残念ながら一万札は見つかりませんでした。最終的には千円札が7枚でした。
 ということで、このお金捜しには30分程費やしました。時間を忘れての行動でした。まったくの銭ゲバ行動で大いに反省しております。おはずかしい。
 ところで、「この7千円をどうしたの?」ということですが、「観音様に感謝しながらビールを飲みました」というような不謹慎なことはしませんでしたから御安心を。 「観音様にいただいた物は、そのままお返しを」ということで、その後のお寺での寄付とかお賽銭にさせていただきました。
 本当です、信じなさい、信ずることは疑問を解消してくれます、氷が融けるように。

(2)歩くこと
 坂東を歩いて巡ろうと感じたのは、四国遍路をしていた時で、四国と百観音巡り(西国、坂東、秩父)の達成を記念に建てられた江戸時代の石碑を見た時です。
 今に比べれば格段に交通の便が悪い江戸時代に、全てを歩かなければならない時代に達成したのだから「凄いことだ」と感じたことが、動機になっているように思われます。
私の育った田舎(岐阜県の奥美濃地方)には西国の巡礼道が通っており、満願寺の33番谷汲山華厳寺は歩いて2時間程のところにあります。そんな縁があって西国は機会をとらえて何時か廻ろうと考えていましたが、坂東は対象にはなっていませんでした。
 坂東は西国に追加するかたちになりましたが、それはそれとして、結果として坂東は住でいる東京に近いこともあって、西国より早く達成(満願)することが出来ました。
 (現時点での西国巡りの歩行は、28番成相寺の少し手前までです)
巡るにあたってはまず全体計画をということでガイドブックを探しましたが、車によるものばかりで、歩いて巡るものは見当たりませんでした。
このため、巡礼ツアーを実施されている「巡礼の会」にも電話して聞いてみましたが、「歩くのは有りません」とのとで、しかたがなく全て自分でルート取りをすることにしました。 (*四国遍路では歩く人も多く、歩行者用の専用ガイドブックが発行されているのだが)

hyauhachi.jpg ところで、「巡礼の会」に電話した時のことですが、相手の話しの中で印象に残った言葉がありました。それは遍路と巡礼の違いに関する説明です。
 彼女曰く「四国遍路はお寺とお寺の間を歩く過程が重要であり、その過程が修行になっている。すなわち四国遍路は修行のために行くのである。が、観音巡りの巡礼は、お寺において観音様の前で一心にお願いすることに意義があり、四国遍路のように歩く過程は重要視されない。したがって、坂東を歩く人はいないから歩行者用の専用ガイドブックは無い」とのことであった。遍路は「線」、巡礼は「点」で、観音霊場巡りでは歩くことには意味が無いということのようである。
 この理屈は、その時にはよく分かりませんでしたが、その後に観音経の解説書などを読むことにより、なんとなく理解出来るようになった気もします。
 「真心をもって一心に観音の御名を称えれば、その音声を観じてたちどころにわれわれの苦悩を観音菩薩は救いたもう。(妙法蓮華経、普門品第二十五)」
観音様には、その前で一心に「南無大慈大悲観音菩薩」と称えることで御利益があるようである。

 まあこの理屈は理屈として、観音様の前での御利益もさることながら、これに追加しての、過程(プロセス)での現世利益も求めての「健康維持を目的としたウォーキング的な坂東観音霊場巡り」を始めることにしました。

(3)おばちゃん観音
「延べ歩行距離 1,108Kmを完全に歩いた」ということは、厳密にはそれは嘘になります。厳密には2Kmほど車に乗ったというか乗せられたというか、歩かないで車に乗っております。それは八溝山からの帰り道です。
 八溝山へは東京駅の山手線始発4時44分に乗って出かけたが、常陸大子駅に着いたのはちょうど9時で、予想以上の遠さで4時間以上もかかってしまいました。
 予定より1時間程遅く、そこから歩き始めて白坂にある待月旅館に着いたのは11時で、そこに荷物をおいて八溝山へ出発したのはその16分後でした。
 *荷物を宿に置いたのは、宿が見つからなかった時のことを考え、寝袋と小型テントをリックに入れてあり重いためです。
 宿のおばちゃんに「これから八溝山を往復してくる」と言ったところ、「無理だよ。ここからの往復は一日仕事だ。もう昼に近いのだから暗くなってしまうよ」、とのアドバイスがありましたが、「6時頃までには戻ります」と言って急いで出かけることにしました。
 腐れ沢からは林道に入り急な坂を急ぎ足で登りましたが、日輪寺に着いたのは15時40分、急いで納経を済ませ境内の見学もしないで出発したのは、16時少し前でした。帰りの下りの山道では暗くなりかけていたこともあり、暗くならない内に舗装された林道へ着いておこうと、駆け足をしたものの結果としておばちゃんの忠告どおり腐れ沢入口から少し進んだあたりで真っ暗になってしまいました。

matuzuki.jpg 道路には街灯らしきものは一 灯もなく、木々に囲まれていることもあり、まったくの暗闇でした。そのため道路端に引いてある白線を、非常用に持っていたペンライトで照らして、道巾と方向を確認しながら歩くことにしました。目を大きく見開いて。
 途中で、後ろに何かの動きを感じたため振り向いたら、二つの目玉がギラリ、オッカナビックリでした。よく見たらそれは犬でしたが、確実に寿命が1年は縮みました。
 いずれにしても出発の時に話していた「6時頃までには戻ります」は、大幅に遅れてしまうことになりました。あまり遅くなると宿のおばちゃんに心配かけてしまうことから、公衆電話が最初に見つかった本宮付近(?)で電話を入れることにしました。「本宮の近くにいます。そちらに着くのは7時半頃になるけど食事と風呂をよろしくお願いします」と言ったら「いいわよ、気を付けてね」という返事で、これで安心と引続きペンライトを点けて急ぐことにしました。
 歩き続けていると後ろから来た車に「八溝山に行ってきたお兄さん」と声を掛けられました。今度は人間です。ビックリしながら「そうです」と返事をしたら「遅いから迎えに来たよ」と、宿のおばちゃんでした。
 「乗れ、乗れ」と言われる言葉に、最初は「歩くことにしているので」と断わったものの、オバチャンの善意のことを考えると、この断わりの言葉は一度しか言うことが出来ませんでした。
 そういう事情で車に乗りましたが、その距離は2Km程ではなかったかと思います。「全部歩こう」は、そういう次第で厳密には完全ではありません。
でもこれは「おばちゃんが観音様の代わりになり迎えに来て下さった」と思うことにして、難しく考えないことにしています。「おばちゃん観音」の車に乗ったのだと。
 率先して乗ったのでないことは、八溝山への車道の登りで同乗を誘って下さった参拝者がおられたけど、断って歩き続けたことを観音様はご存じなのだから。

(4)観音様の現世ご利益(その2)

kitajo.jpg 今度のご利益もお金のお話しです。
 小田十字路~ No.26清滝寺~JR土浦駅の歩行は、真夏の7月末であったこともあり半ズボンの軽装で行ないました。そのため、終点のJR土浦駅では電車に乗る前に長ズボンに着替えることにしましたが、着替えの良い場所がないため、駅西口公園(広場で池が在り)の植木の陰で行なうことにしました。公園の通路(ここは人通りが多かった)から植木の方へ2~3歩踏み入れたところ、目に飛び込んできました。黒っぽい革のサイフが。
 拾って中身を確かめたら8千円と銀行のキャッシュカードが入っていました。しかし、持ち主につながるような名刺とか領収書などは入っていませんでしたので、駅前の交番へ届けることにしました。本当です、届けました。
 クーラーの無い暑い交番の中で、若い警察官の指示にもとに自分の住所・氏名などのお決まりの事項を書ましたが、この記入の間には「近くの百貨店で買い物をしていて手荷物が無くなった」とおばちゃんが飛び込んで来て、もう一人の警察官が出かけたり、「近くに本屋さんは無いか」と道を尋ねる人が来たりで、「交番勤務も案外大変だなあー」とか、「本屋ぐらい自分で捜せ」と思ったりもしました。
 ところでこの届けたサイフは、私が交番を出て30分もたたない後に落とし主が現れ無事本人に戻りました。これは落とし主からのお礼の手紙で知ったことです。
この手紙によれば、「お金は駄目でもキャッシュカードだけでも、と期待半分で交番へ行ったのだが、届けてあっていたく感激した」とのことです。
 そしてお礼にと、それなりの金額の切手が同封されていました。又この方はカメラマンで、綺麗なニューヨークの夜景写真も同封されていました。
 ということで、観音様の現世ご利益(2)のお話しは終わりです。

(5)観音様の現世ご利益(その3)
 ご利益はお金ばかりでない。何といってもそれは「無事巡り終えたこと」です。
 このことを忘れては「ご利益」どころか「罰」が当たることになります。
 巡っている間に交通事故に遇わなかったこともさることながら、7年の間、大きな病気もすることなく無事生活出来たことは、観音様のお陰です。
 半分は巡礼、半分は健康管理のウォーキングが目的でしたが、観音様のご利益でもって十分目的を達成することが出来ました。
 坂東の観音様、ありがとうございました。
 さて、巡っている間に交通事故には遇わなかったものの、道路の狭いことや歩道がなかったことなどからヒヤヒヤしたことが何回もありました。ひどかった所としては、
・No.16 水沢観音から下ったJR群馬総社駅付近の県道(?)、歩道が無く車も多い。
・No.26 清滝寺の手前国道 125号線から入った道路、採石場へのダンプが多く道路巾も狭い。
・小湊鉄道飯給駅~JR久留里線小櫃駅間の県道(?)、採砂場が多く丁度東京湾横断道路の開通関連の地域開発のせいか、ダンプが数珠つなぎで運転も荒かった。
・国道 127号線の鋸山付近、道路が狭く車が多い。特にトンネルが狭い。
 次に、一都六県を歩いての各県の車の運転マナーに関しては、一番運転の荒いのは千葉県でした。道路整備も遅れています。
 ところで運転マナーに関して「一言」言わしてもらうと、運転手を二種類に分類出来ます。その一つは歩行者がいるとスピードを落として、少し避けながら通り過ぎる、親切な、思いやりのある運転手。
 もう一方はスピードを落とさないし避けることもしない「俺の道だ、退け退け」の、どうしょうもない、ヤカラ運転手。このヤカラのダンプを避けるため「お慈悲を・・・」と叫びながら、反対側の土手に飛び逃げたことも何回かありました。
 車の運転は、心に余裕を持ってしたいものです。

6)十一面観世音菩薩の仲立ち?

dososhin.jpg 会社の上司である(今は定年退社された)Fさんと、巡礼中に偶然のバッタリの顔合せを2回もしました。Fさんも坂東巡礼をされていたもので、この2回の偶然の場所がこれまた偶然の十一面観世音菩薩の長谷寺なのです。(読み方は異なる、はせ寺とちょうこく寺)
 1回目は6番長谷寺(飯山観音)の納経所で、Fさんから「アレーO君では?」というわけで、奥さんの丁寧な挨拶に恐縮しながら返礼をしました。次の星谷寺へ向かって少し歩いた所で、クラクションを鳴らして追い抜いて行かれました。
 2回目は15番長谷寺(白岩観音)の少し手前の町屋橋の上で、バイクを歩道に停め地図を広げている二人連れがいました。
その脇を通り過ぎる際に地図をチラッと見たら「坂東巡礼○○マップ」と書いてあることから、「坂東廻りですか?」と声を掛けたら、2人が顔を上げて「アレーO君ではないの?」、「Fさんでは」ということになりました。
 先の飯山観音でお会いしてから丁度半年後のことです。四国の歩き遍路においては、昔から「歩き遍路は二度会う」と言われていますが、それと同じようになりました。
 私の5万分の1の地図で、白岩観音の位置を教えてあげその場を離れましたが、少し先の白岩観音の境内で追いつきました。
 白岩観音では私が先に出発しましたが、少し歩いた所で「お先に・・・」と声を掛け、片手を振りながら追い抜いて行かれました。50歳を過ぎての夫婦でのバイクツーリングは、なかなか粋なものです。
 特に奥さんの赤いスポーツタイプのバイクがGoodでありました。

(7)道祖神
  ほほえましい道祖神の石像(石碑)を村はずれの路傍に見かけることがありました。数はあまり多くありませんでしたが、群馬県と栃木県に多かったような気がます。
 風化してしまい彫られた夫婦像がほとんど判別出来ないものや、近年に設置されたマンガチックなものなどいろいろありました。
 その前に花などが供えてあると「赤ちゃんを願ってのお花かな、それともお礼のお花かな」などと思ったりもしましたが、これは現代においては思い過ぎかもしれません。一般的には病院へ行くのが先のようだからです。いずれにしても日本の一つの風景として残しておきたいものです。
 ところで、おもしろい道祖尊(神)が有りました。一般的な夫婦像でなく男性のシンボルなのです。

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 場所は、今市市の猪倉と宇都宮市の新里町を結ぶ市道(?)で、市境になっている峠です。(宇都宮ICの左側に位置する) 大きさは直径40cm、高さ1.5mほど、大谷石製のリアルティーの豊かな立派なものです。
 この像は周囲を木枠で囲い、屋根付で、傍には教育委員会の説名札が立ててありました。
 その内容は「この峠は宇都宮から日光へ抜ける裏街道で日光参拝の人が通った・・・」と書いてあったような気もしますが、詳しい内容は忘れてしまいました。メモしておくべきでした。
 「日光参拝の大名女中さんもここを通ったのでは、これを見てどう思ったかな?」とニヤニヤしたり、 「江戸時代はおおらかだったから別にどうこういうこともなかったかな」などと考えながら歩いていたら道を間違えました。
 近道をしようとゴルフ場の方へ右折したのでしたが、これが少し早すぎて一本手前の道だったようです。地図にない軽四輪しか通れないような細い道で、林の中を500m程進んだところで完全な行き止まりになってしまいました。
 ところで、この軽四輪しか通れないような細い淋しい林の中の道を歩いている途中で、私は拝みました本当の道祖神を。軽四輪車が止まっていて、その中に生身の道祖神がおられ、そして見てしまったのです。第九の歓喜の世界を。
 峠の道祖神でニヤニヤしたばかりなのに、5分もたたない内に今度はウハウハの世界です。
 そんなことで、ここを通り過ぎた先は完全な行き止まりでしたが、戻るには気がひけて(二人の邪魔をしては悪いので)、無理して行き止まりのヤブみたいな所を強行突破することにしました。地図と磁石を頼りに本来の道を目指して。
 途中でジメジメした沢のようなところも通りながら、今日は何という日なのか」と思いました。
 手と顔にブッシュによる引っかき傷を2~3作りながら、舗装された道にたどり着いた時には、本当にヤレヤレと思うとともに疲れがどっと出てきました。
 お二人さんに、道祖神、観音様の御利益がありますように?? 

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