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四国八十八ケ寺歩き遍路記 (1/2)

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四国八十八ケ寺歩き遍路記
 この遍路記は、平成4年5月にワープロで制作した遍路記を、ブログ用に構成変更したものです。

<まえがき>
 この記録は、親子遍路の歩行記録です。
 遍路中に用いた地図(国土地理院の5万分の1)に記載していた、歩行時間とお金に関するメモを整理したものです。
 サラリーマンでの少ない休暇に都合をつけて、また、子どもの学校の休みを利用しての遍路行には、思い出がいっぱいです。
 花咲く道、暑さの道、雨降る道、雪降る道、・・・ 親子で歩いた遍路記録として、印象に残った人との出会い・出来事なども思い出として残すことにしました。
  
この歩行記録の概略をまとめると、

(1)巡拝に要した年数は、8年間(S60~H4)。出かけた回数は9回。

(2)歩いた人は、私と子供
   (1番~10番は私のみ、11番~50番は3人、51番~88番~10番~1番は2人)

(3)延べ日数は、船中泊を含め47泊-56日。(史跡などの見学を含む)
   宿泊内訳  民宿・旅館34泊、 お寺4泊、 野宿2泊、 船中泊7泊。

(4)延べ歩行日数・距離    38日   1,215Km
   前回又は前日の歩行終点を起点に歩き続けた。止むを得ず用いた交通機関は、雲辺寺下りロープウエイ、屋島寺下りケーブルカー、八栗寺上りケーブルカー

(5) 費用  約 150万円
(6)使用した地図  国土地理院の5万分の1地図  42枚

*ブログ時点での補足
  私達が遍路をした時には、へんろ道保存協力会の地図は未発行でした。宮崎さんが現地に案内プレートを精力的に設置されていた頃です。
  そのため、平幡さんのガイドブック(1冊版)を参考に5万分の1地図上での近道という近道を選び歩きました。なお、36番青竜寺先の横浪有料道路の歩きは選定ミスであったと思っております。真夏にアップダウンのある何もない車道を歩くのは疲れます。

yonannaiita.jpg

< 四国八十八ケ寺歩き遍路記  思い出(1) >
  ・思い出を思いつくままに

(1)歩くこと

yonnatuhanzubon.jpg 

真夏の土佐路を汗して歩きながら「どうして歩いているのか、どうして歩き続けていのか」と自問することもあった。
 また、東京では「どうして歩くの? どうして車で巡らないの?」とよく聞かれたが、考えてみれば車を運転出来ないわけではないし、レンタカーでも借りてアクセルを踏めば、10日もあれば巡れるのに。
 「あいつは変わっている、物好きだ」と思われても、慌ただしいこの世の中では当たり前のようである。
 そんなときには「千年続いた歴史あるスタンプラリーの様なものさ」「JRの全国一周スタンプラリーと似たもんさ」と軽く答えることにしていたが、本当にそんなものだろうか?
 歴史の重みとか、宗教的なものだけでない何かがあるようである。
 そもそも歩き始めた時には、八十八ケ寺全部を巡ることなど全然考えていなかった。
 四国鳴門への出張が、たまたま1番霊山寺が近かったこと、そして厄年に近い年齢であったことから「1番から行けるとこまで1日歩いてみるか」の軽い気持ちであったはずである。
 確かにスタートの動機には、「厄年」、「歴史あるお寺」と二つのキーワードが揃っているが、これだけではその後の「続けて巡る」のキーワードは生まれてこない。
 どうも頭だけでは理解出来ない、ハートで理解すべく「あったかさ」とか「親切」が「続けて巡る」の重要なキーワードになったような気がする。
 雨の降るなかで霊山寺までの道を聞いたら、車でお寺まで送って下さった親切な親父さん。曲がり角まで一緒に歩いて親切に道を教えて下さった人達などなど、最初の1日目のインパクトが非常に強かったように思われる。
 全国の観音霊場を歩いて巡拝された80才を過ぎたおじいちゃんが、「観音さまというのはお寺におられると思っていたが、巡拝しているうちに身近にいる方々こそ本当の観音さまだと思えるようになった」と新聞の文化欄に書いておられたが、どうもこれとあい通ずるところがあるような気がする。
 車では得られないものが歩くことにより得られるようだ。
 四国霊場巡拝○○様御一行の観光バスが通り過ぎる時、子供が「バスに乗っているじいちゃん、おばあちゃん達は我々のことをどう思うかな、若いのに物好きな暇の有る者と思うかな」と問いかけたが、私は「きっと、じいちゃん、ばあちゃんは、我々のことをうらやましく思っているよ、体に自信が持てなくてバスで巡るだけでも精一杯の人から見れば、歩けることは素晴らしい事なのだ。きっと歩きたいと思っているよ!」と答えた。「歩ける」という、「あたりまえのことが当たり前に出来ることに感謝する」ことを理解させるには、子供はまだ若すぎるようである。

yonuwagima.jpg 同じような意味の言葉として「ゴルフが出来ることに感謝する」をよく聞くが、これは老ゴルフプレイヤーの言葉のようである。
 ところで、「歩き遍路」は「歩くから歩き遍路」である。
 歩くことは当たり前のことだが、この歩くにも信念を必要とするときがある。
 スーと止まった車から「お遍路さん乗っていかない!」の接待の言葉は、歩いている者には大変ありがたい最高の言葉であるはずだが、歩き遍路は「どうもありがとうございます、歩いておりますので」と、丁重に断わらなければならない。
 足の裏に豆をつくり、歩くたびにズキズキと痛みが頭の芯まで響くような時には、この「乗っていかない」の言葉は精神的にあまりよくない。
 この車の誘惑に負けて歩くのを中断する人も多いとも聞くが、納得できる話である。歩き遍路にとって歩くことは、修行であるように思われる。
 「座禅」の言葉を借りて「歩く座禅」と呼びたい。「専修座禅」「専修念仏」と同じ呼び方をすれば、「専修歩行」ではなかろうか!

(2)初めてのお接待

yonfdadaishi.jpg 通り過ぎた車が戻ってきて、中から出てきた奥さんに千円毎のお接待をいただいた。お接待のことは、遍路紀行文とかガイドブックで知っていたが、過去の良き時代のもと理解していたから本当に驚いた。
 ただ、「ありがとうございます」の言葉を返し、頭をペコペコ何回か下げ繰り返すのが精一杯であった。
 この最初のお接待で、歩き遍路に目覚めるというか、いいかげんには歩けないと自覚した。
 その後も数多くのお接待いただいたが、お礼を言うのに併せて、手を合わせることが自然に出来るようになったのは、この最初の接待から何回か後のことである。

(3)信念

yonfudagasho.jpg 往復の交通機関は別として、四国へ着いてからの歩き遍路中は、アルコールは飲まないこととした。
 家では毎日飲んでいた晩酌のビールを、飲まないと決心したからには、一滴も飲まなかった。
 このことは、子供に対して鼻高々の自慢できることで、よい見本を見せられたと思っている。
 体中の細胞の水分が蒸発してしまったのではないか、と思われるほど汗をかいた日の民宿で、親父さんが「一杯やっか!」と、水滴の浮かんだよく冷えたビールを持って隣りに座られたときに、「飲めませんので」と嘘を言って丁重に断るのは、これまた修行である。
 一滴も飲まなかったことは正解であったようだ。なぜなら、カラカラに渇いた喉には、1~2リットルの水でさえ「竪板に水のように流れ落ちる」のに、ビールだったらザルになっていたと思われるからである。

(4)雨

yoname.jpg 雨降りの歩き遍路にはわびしさがただよう。
 グチョグチョになった靴の中、大型車にあおられる菅笠とカッパ、そして車にハネかけられる水溜まりの水、などなど。でも、うつむいて、もくもくと歩くだけである。
 「かわいい子には旅させよ」の本当の意味は、「かわいい子には雨降りに歩かせよ」のことではないかと思われるほどである。
 テレビの時代劇に出てくるカッコよい股旅もののヤクザの兄ちゃんも、わら草履での雨の日はわびしかったのでは、と見方が変わってくる。
 慣れてくるとそういうものだと納得してくるが、いずれにしても雨は、わびしく、うっとうしい。

(5)トンネル
 トンネルは、歩き遍路にとって地獄の一丁目である。
 ゴーゴーと吠えるような音を発てて近づいては通り過ぎる大型車は、まるで怪獣である。この怪獣の発する風圧に負けないように、身体を壁側へ寄せるとともに、両足を踏ん張って身構えをしなければならない。でも、あまり身体を壁側へ寄せると白衣が黒くなってしまう。特に、車道より一段高い歩道がないトンネルは恐怖である。
 また、千メートル以上もある長いトンネルでは、怪獣の吐き出す毒ガスで胸が苦しくなってくるし、天井に設置してある排ガス用のジェットファンのキンキン音で、耳と頭が痛くなってくる。
 宇和島の手前にあった1710メートルの、松尾トンネルは特に印象に残っている。トンネル内では、地獄から早く逃げ出そうとするためか、無意識に歩行スピードは早くなるし、出口に出たときには、ほっとすると同時に疲れがどっとでてくる。
 ところで、車の運転手にとってトンネル内の遍路姿はどう映ったのだろうか?
 ヘッドライトに照らし出された白い遍路姿を、オバケが出たと感じた人はいなかっただろうか。「俺はオバケだぞー」と言いながら歩いたこともあったが、これは「怪獣め近ずくな」と思った時のことであった。
 以上のように、トンネルは地獄の一丁目ではあるが、車が通らなければ別である。
 杖の音がカーン、カーンとリズムカルに響き「歩いている」「前進している」ことを実感させてくれるし、「トンネルを過ぎたら雪国であった・・・」ではないが、出口には、何かしらの新しいものを期待させてくれるからである。

(6)自動販売機

yonfudaganba.jpg 歩き遍路には水筒が不可欠であるが、荷物を軽くするということでは、自動販売機を上手く活用することも一つの手段である。
 いまや自動販売機は、民家の在る無しにかかわらず何処にでもある、と言っても過言ではない。金儲けのためだろうが、そのエネルギーには感心させられた。
 だが、置いて無いところ、置けないところがあることを発見した。それは電柱の無いところである。あたりまえのことであるが、電気が無ければ自動販売機は動かないからである。
 日本の道路という道路には電柱が建っているが、無いところがある。山越えの新しい道路で、旧道が残っていて電柱はそちらにあり、新道には無い場合である。
 遍路中この自動販売機には大変お世話になった。特に夏には。何時でも良く冷えており、これを飲み始めたら、生温かくなった水筒の水は飲めなくなってくる。これは、冷たくて美味しいというばかりではなく、水筒が軽くなり荷物も軽くなるという、別の意味もあってのことである。
 ところで、飲み物のことであるが、汗をかきかき歩き続けていると飲み物の好みが変わってくる。オレンジジュースのような甘いもの、炭酸の入ったものなどは喉が受付けなくなり、代わりにお茶やスポーツドリンクが良くなってくる。
 私達は、ハチミツシモン、ポカリスエット、ウーロン茶をよく飲んだ。

(7)五右衛門風呂

douhyoyuki.jpg 31番延光寺前の遍路宿坂口屋さんの風呂は、五右衛門風呂であった。
 私が育った頃の田舎の風呂も五右衛門風呂であったことから、私には懐かしさを感じたが、子供達には大変だったし、貴重な経験だったようである。
 「湯船の壁に触ると熱いぞ」と注意していたのに、「アッチチ」と大きな声を上げていた。
 ガイドブックによれば、坂口屋さんは三代続いた遍路宿とのことで、大変気分よく泊めていただいた。シーズンオフであったこともあり、泊まり客は私達だけであった。
 夕食後、三代目のおじいさんとあれこれお話しをしたが、トツトツとした話し方に、宿の主人としての年輪を感じさせるものがあった。
 朝出発する時、おじいさんが見送って下さったので、兄ちゃんが並んで写真を撮らせていただいた。帰京後、お礼を兼ねて写真を送らせていただいたら、ていねいな返事をいただいた。
 五右衛門風呂とおじいさん、心に残るよき遍路宿であった。

(8)走る

watashi.jpg 歩き遍路はただ歩けばよいのだが、時によっては走る、というか走らされることがある。私達は三回あった。
 その1とその2は、納経の締切時刻の6時に間に合わせるため、その3は渡し船に間に合わせるためである。
 まずその1は、遍路ころがしで有名な神峰寺の登りで、「真っ縦て」と言われている旧道をハアハアといって登った。お寺に着いたのはちょうど納経締め切りの6時で、帰りは暗い車道をガクガクになった膝をかばいながら下りた。宿(浜吉屋さん)での階段の上り下りは、四つん這いであった。
 その2は、弥谷寺の登りで、坂道に入る頃から早歩きになり、262段の階段では駆け足であった。特に最後の108段の階段は「これでもか」という感じで迫ってきて、まいった・まいったであった。
 納経を終えて本堂の外へ出ると同時に、入口の扉がギギギーと音をたてて閉まった。振り返ると、扉の前の階段に松葉杖や義足が置いてあったが「この階段を松葉杖や義足で歩くのは大変だな」と思った。
 その3は、四万十川の渡し(下田~初崎)で、渡しの手前およそ15分間を真夏の太陽の下で駆け足をした。乗船場が分からなかったこともあり非常にあせった。
 船に乗り込んでのヤレヤレと落ち着いたところでの、ヒンヤリした川風は心地よかった。座っていても前に進めることも合わせて。

(9)夏の暑さ
 歩き遍路は、クーラーを持って歩けない。
 雪降る冬は、それなりの防寒着を着て歩けば暖かくなるが、夏の暑さはどうしようもない。流れ出る汗で背負ったリュックの中まで濡れてしまう。
 直射する日差しに道路のテリカエシが加わることはよくあることだが、これに道路脇のコンクリート壁のテリカエシが加わると、もうだめだ。暑い暑い暑いの三重奏である。さらに、アブラゼミのジージーの鳴き声が加わると、精神面も加わって4重奏となり頭がボーとしてくる。
 歩き遍路はめずらしいと、自転車でわざわざ話しにこられた70歳過ぎのおじいちゃんが、「真夏の遍路は、普通より倍のご利益がある」と励ましてくださったが、本当にそう思われるほどである。
 土佐路は「修行の道」と言われているが、真夏の土佐路は全くそのとおりであった。

(10)おじいちゃん

yonchizuyamagoe.jpg 歩き遍路は珍しいと、自転車でわざわざ会いにこられた70歳過ぎのおじいちゃん、自転車を押しながらいっしょに歩き10~20分話しをしていかれた。
 「昔は皆が歩いたよ、この峠越えの道は、春には列が出来る程だったよ」
 「戦前は馬喰をしていて、この峠を越えて宮崎まで子馬を買いに行き、育てて軍用馬として買ってもらったよ」
 「冬は歩けば暖かくなるけれど、真夏の遍路は暑くて大変だ、倍のご利益あるよ」「峠道の草刈りを昨日しておいたよ、綺麗になっているから大丈夫だよ」など、など。
 この峠越えの道は、おじいちゃんの言われたとおり、草刈りと、はみ出した雑木の枝落としがされており、数多い山道の中で最も歩き易かった。
 歩き遍路しか通らないと思われる山道を、遍路のために綺麗にしていただいたおじいちゃん、ありがとうございます。長生きしてください。

(11)再会
 大阪の学校の先生と、種間寺から青竜寺まで同行した。
 菅笠を被り重そうなリックを背負った、本格的な歩き遍路である。
 この先生とは特別の話もせず、何処から来たか、何時から歩き始めたか程度を話しただけだが、強い思い出が残っている。それは再会である。
 我々が青竜寺で納経を済ませたのは1時過ぎであった。ここで、私達親子は、夏の暑さを避けるために、3時過ぎまで昼寝をしながら休むこととした。
 しかし、先生は当日の宿がまだ先であることから、休まずに出発された。(私達はテントを持っていたことから、宿のことは気にしなかった。当日は野宿した)
 出発にあたり、「お元気で」とお別れをしたが、4日後の足摺岬の金剛福寺からの戻り道でバッタリと再会した。
 「あれー、どうしたんですか。先に行かれたはずなのに!」から話が始まり5~6分立ち話しをした。
 先生は、別れた日に宿に着かれたのは8時過ぎで、暑さと長時間歩かれたため疲れはてて、翌日は10時過ぎまで起きられなかったとのこと、私達はこの間に先生を追い抜いてしまったのである。
 「兎と亀」の話しがあるが、この場合、どちらが兎で亀かよくわからない。どちらも兎と亀のようである。
 「歩き遍路は、別れてもまた逢う」と昔から言われているそうだが、その通りになった。
 「夏休みを利用して4年で巡りたい」と言われていたが、あれからもう2年はとっくに過ぎており、きっと望みを達せられたことだろう。


(12)学生

yondohyokaku.jpg ローラースケートで遍路している元気な学生に会った。
 七子峠の登り坂を、背中に着けた菅笠をなびかせるようにして、汗をかきかき追い抜いていった。が、少したったら戻ってきた。
 「こんにちは」とていねいに挨拶をして、「本格的な親子遍路に会ったことが無いから少し話していきたい」と言って、一緒に歩き始めた。
 こちらは別に「本格的な」親子遍路では無いが、彼がそう思うならそれはそれでよいとして話をした。
 彼は、沖縄出身の香川大学の4年生で、最後の夏休みに何かをしょうと考えたとき、四国の大学を卒業したという証しのために、四国と言えば88ケ寺、お遍路にしたとのこと。
 また、若者らしくローラースケートに挑戦したとのことである。
 1番から舗装してない山道は歩くとして、ローラースケートで走っているとのこと。顔は真っ黒、たくましい限りで、菅笠を背負っていなければマラソンの選手と見違うようなスタイルであった。
 確か「どうしてお遍路しているのですか!」というような質問を受け「どうしてかよく判らない、巡れるチャンスにめぐりあったから」と答えたような気がするが、記憶がしっかりしていない。
 なにぶんにもこの峠の登りは、急で長くて暑くて、疲れはてて頭がボーとしていたから。
 人間疲れると脳への栄養が行き届かないためか、思考力が落ちるようである。
 彼とは10~15分話しをし、峠を越えたところで別れたが、ローラースケートによる下り道路の走行は、快適そのもののように見え、同じ二本足で進む者としてうらやましく思った。

(13)道に迷う

hashikinen1.jpg 金剛頂寺から山の下の国道へ下がる、昔からの遍路道を探したがなかなか見つからない。山の上であるが平坦な所で、畑と樹々の中に農家が点在する見通しの悪い場所である。
 地図を持っていたが、巾1メートルほどの農家への入口道と農道が入り組んで、さらに樹々が目隠しをしており、あっちこっちと歩いているうちに、自分達がどのあたりにいるのか判らなくなってしまった。
 まったくの「アイム ロスト」で、道を見失ってしまったのである。
 しかたがないため、付近の農家に聞くことにした。
 1軒目は犬が吠えるだけで留守であったが、2軒目は年老いたおじいさんが縁側におられた。
 「すみません」と言ったが聞こえないらしい。どうも耳が遠いようである。今度は大きな声で言ったら、こちらを向いてくださった。
 「遍路道を教えて下さい」と言ったら、うなずきながら教えてくださった。
 そして、別れ際に、「この遍路道は歩く人がほとんどいないから、道がなくなっている所もあるよ。そして、ここは"弘法大師も道に迷われ三日三晩さまよわれた"といういわれのある有名な場所で、気をつけて行きなさい」と親切に教えて下さった。
 教えられたとおりの道を行き、下り道の入口に行きつけたが、ここからの遍路道は道なき道で、草木を押し分けての大変な道であった。
 そんな道を歩きながら、「スーパーマンの弘法大師さえ迷われたんだから、我々の凡人が迷うのはあたりまえだね」と子供と話しあったが、弘法大師と比べ同じにするのは不謹慎かもしれない。
 同じ間違いをして、少し弘法大師に近づいたような気もするが、これもおかしな解釈というべきか!

(14)犬

hashikinen2.jpg 四国の農家は家が立派で、必ずといっていいほど犬がいる。そして、必ずワンワンと吠える。
 車が通っても吠えないのに、なぜか歩いている人間には遠くにいる時から吠える。
 チリンチリンの鈴の音によるものかと思い、音をしなくしたが同じであった。
 四国四県を巡り判ったことだが、徳島、愛媛、香川の犬はワンワン、キャンキャンと鳴くのに対して、高知の犬はガウガウとまさに吠え狂う。
 高知は土佐犬の土地、多かれ少なかれ土佐犬の血が流れているようである。
 忘れられない犬がいる。
 野良犬で、カワハギの干物の焼いたのをお接待でやったら、尻尾ふりふり頭を上下させながらついてきた。
 しかし、あんちゃんが犬に弱いことから、「あっちへいけ」とカワハギを遠く投げて追い払ったが、いつまでもついてくる。
 そのうちにカワハギも少なくなり、とうとう、石と空き缶を近くへ投げ、追い払う始末になってしまった。
 そうしたら、今度は私達の前に行き、20~30メートル先を、後ろときどき見ながら歩きはじめた。
 「まあ離れているから」とそのまま歩いていたが、何時までも先を歩いていく。
 「いなくなったな」と思いながら、遍路道に従って曲がり角を曲がると、まだ前にいるではないか。
 そんなことが2~3回続くと、今度は犬がどこで曲がるか、そして私達が進む道と一緒でないかが、最大の関心ごとになってきた。
 しかし、この関心ごとが更に1~2回続いたところで、とうとういなくなってしまった。いなくなって、何か友がいなくなったような寂しさを感じた。
 ところで、犬がいなくなったところで、犬の嫌いなあんちゃん曰く「あの犬は弘法大師のお使いで、我々の道案内をしてくれたのだ!」と、
 石と空き缶を投げて罪深いことをしたものだ。罰が当たりませんようにと、それからは野良犬へのお接待をなるべくするようにした。

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