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西美濃三十三霊場の歴史など

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    西美濃三十三霊場の概要・歴史など                H23年12月

1.霊場の概要・歴史など

a.西美濃三十三霊場
  札所は、大垣市を中心に揖斐川町、池田町、垂井町、養老町、輪之内町、海津市、神戸町、大野町に点在しています。江戸時代に開場されましたが、その後衰退し、昭和55年、広域的な観光振興も合せ持たせ、大垣商工会議所が中心になって新たな三十三霊場が決められました。その後も、時の流れの中で見直しがおこなわれています。
  全行程を歩くと180kmほどで、関東の秩父巡礼の2倍弱です。

b.各札所における特記される事項
  1番 横蔵寺   「美濃の正倉院」と言われ、22体もの国重要文化財あり
  2番 来振寺   平安期につくられた国重要文化財の「五大尊像」あり
  7番 一心寺  槍ヶ岳開山の播隆上人が創建。鉄鉢、錫杖などあり。
*新田次郎著「槍ヶ岳開山」に記述あり
 12番 観音寺   関ヶ原の合戦の西軍の将「小西行長(キリシタン大名)が捕縛されたところ
  15番 安国寺  足利尊氏が戦没者慰霊のため全国68ケ国に建てた寺の一つ
  16番 禅幢寺  秀吉の軍師「竹中半兵衛」他竹中家の菩提寺。近くに陣屋跡あり
 21番 安楽寺  関ヶ原の合戦において、家康が最初の本陣を設けたところ
 25番 養老寺  「養老の滝」の孝子伝説で知られる源丞内の開基。滝の近く
 31番 明星輪寺 日本の三大虚空蔵の一つ。子安地蔵菩薩は国重要文化財
 32番 円興寺  本尊の聖観世音菩薩は国重要文化財
 33番 国分寺  聖武天皇の勅願寺。本尊は高さ3mもあり国重要文化財。資料館がある

2.ルート図

 ・赤線  第1区切り(H23.9.26~29)
 ・青線  第2区切り(H24.3.9~12)

annaizuno.1.jpg

  

3.地域名などの説明

a.西美濃
 「西美濃」は、日本列島のほぼ中央、岐阜県の西部に位置し、
木曽三川の一つ揖斐川流域を中心とした南北に細長い地域です。海抜1200mの揖斐川源流部から扇状地を経て海抜0メートルの輪中地帯まで、広大な濃尾平野の一部を形成しています。変化に富んだ自然が楽しめるほか、古来東西文化の接点にあり、歴史文化資源も数多くあります。また、JR東海道本線や東海道新幹線、名神高速道路など、日本の東西交通の大動脈が所狭しと通っています。

b.大垣(美濃路大垣宿)
美濃路は、江戸時代に中山道垂井宿と東海道宮宿を結んだ脇街道で、両街道を併用するためのパイパスとして多くの人が利用しました。
 大垣宿は、26町14間(約2.8km)もの長大でした。木曾三川の伏流水が集まる全国有数の自噴帯に位置し、豊かで美味しい水に恵まれていたことから、「水の都」とも呼ばれています。
 俳聖・松尾芭蕉が生涯に4度訪れ、
紀行「奥の細道」の終着地でもあります。桑名との水運で栄えた船町港から、谷木因らに見送られながら舟で伊勢へと旅立ちました。元禄年間に建てられた住吉灯台と船が往時を偲ばせます。周辺一帯にはむすびの句を刻んだ「蛤塚」はじめ句碑が多く、「奥の細道むすびの地記念館」もあります。

c.赤坂(中山道赤坂宿)
 大垣市街地の西北4kmにある赤坂宿は、中山道57番目の宿場町で、杭瀬川の水運や谷汲山華厳寺への巡礼街道の起点として栄えました。赤坂港跡には当時を偲ぶ常夜燈があるほか、幕末の皇女和宮降嫁の折に建てられた「お嫁入り普請」の一部が、今も古い街並みとなって残されています。*20番天清寺付近

d.関ヶ原古戦場
 慶長5年(1600)、徳川家康を総大将とする東軍と、石田三成率いる西軍が、天下分け目の決戦を繰り広げた地で、陣所跡など各地に石碑が建っています。石田三成布陣の笹尾山や小早川秀秋布陣の松尾山からは古戦場が見渡せます。歴史資料館があり関ヶ原合戦を分かり易く紹介しています。*18番妙応寺付近

e.墨俣一夜城
 木下藤吉朗(後の豊臣秀吉)が一夜にして築城し、太閤出世物語の出発点となった一夜城です。その城跡に当時の「砦的な城」でなく、「純金の鯱を配した天守閣」を建てたもので、内部は歴史資料館になっています。美濃路の宿場町であった墨俣宿についても紹介しています。*19番明台寺の近く

4.寺歴・縁起・由来などで特記される事

a.2番来振寺  神亀2年(725)、寺の裏にあたる白山の一面に黄金色の雪が降り積もったとのこと。なお、近くにある西国三十三番谷汲山華厳寺では、創建の延暦17年(798)、堂の近くの岩穴から油が噴出し、灯明に困ることがなかったとのこと。

b.9番弓削禅寺  ここは昔し、温泉が湧いたという伝説があり、初めは湯華寺といわれました。応徳2年(1085)、白河法王がこの霊湯で病気を完治され、自分で削った弓を奉納されたことから弓削寺となったとのこと。

c.11番瑞巌寺   円空作の観世音菩薩像がありますが、北海道から帰った頃の作品だといわれています。長く本堂南の経堂に保管されていました。昭和13年頃の住職さんが先々代の住職さんから聞かれた話しとして、「昔し器用な小僧がおったらしく、彫りかけの仏さんが沢山あったので、それで風呂を沸かした。この仏さんは一応完成していたので残しておいた」という言い伝えがあるとのこと。この観世音菩薩像を中心に、円空独特の木っ端仏が取り巻いていたのでしょう。製作された寛文年間(1660~)には、本堂が再建された時で、古材が沢山あったことから、しばらく滞在して彫刻したのではとのこと。何と、スケールの大きな話し。

d.25番養老寺  開基は養老伝説で知られる源丞内。近くに養老の滝があるが、滝がお酒になったとのこと。滝の水を飲んで車を運転することは止めましょう・・・

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