c.第2区切りの最近のブログ記事

1.概要

 ・平成24年3月9日(金) 雨と風

 ・区間  舞浜駅⇒大垣⇒墨俣バス停~19番明台寺~28番宝延寺~27番行基寺~駒野駅(バス)→海津温泉(泊)

 ・距離  約28km

2.メモ

a.雨  歩き始めから終わりまで雨・雨・雨・冷たい雨、 雨具は準備していたが地図を見るのと写真を撮るのに気を使った。急いで撮影したためなのか、シャッターを切ったはずなのに写っていないところが多い。原因は?

b.万歩計  今回の巡礼のために、歩行距離も表示される万歩計を購入したが、携帯していくのを忘れた。お笑いである。したがって、距離は地図上の距離です。

c.義円地蔵  19番明台寺から少し歩いたところに「義円地蔵」があった。(写真参照)、この地での「源平墨俣川の合戦」(養和元年(1181)、平清盛が亡くなった年でもある)で亡くなった源義円を弔ったもの。源義円は常盤御前の子義経と同腹の兄で、頼朝の異腹の弟とのこと。この戦では源氏方の大敗であったようだ。*頼朝は参戦していない。

d.明台寺  境内の大きな木の枝打ち作業中であった。作業員のなかにルーマニア人夫妻もおられた、記念の写真をとらせていただいた。10時のお茶の時刻であったこともあり、お茶と同国のお菓子をいただいたが、お菓子は面白い味であった。

3.写真他

a.舞浜5:56⇒東京⇒名古屋⇒大垣(バス)⇒墨俣9:32~第19番明台寺~千代保稲荷~第28番宝延寺

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〇第19番  清光山明臺寺   阿弥陀如来   十一面観世音菩薩   浄土宗

  平安時代の末、興教大師によって真言宗の明台寺として創建。 慶長年間に徳川家康の手で現在の地に移された。美濃守護職土岐頼康の弟の墓がある。橋にまつわる伝説をもつ橋杭笑地蔵が安置されている。

b.明台寺~千代保稲荷~第28番宝延寺

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○千代保稲荷
京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つといわれており、商売繁盛の神様として有名。「油揚げ」を売る店があり、参拝者はそれを手に提げて社殿へ、社殿前は供えられた油揚げが山になります。年間200万人、三が日には30万もが参拝し大変な賑わいです。

〇 第28番  護國山 宝延寺   千手観世音菩薩   浄土宗
 創立年期は不明。明治維新の際に廃寺になる。昭和15年(1940)、高山大雄寺来栄寿庵を移転し、寺号を宝延寺と改称。境内には高さ193cmの大型宝筺印塔もある。

c.宝延寺~27番行基寺~養老鉄道駒野駅

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〇第27番    臥龍山 行基寺   阿弥陀如来  十一面観世音菩薩   浄土宗
  天平宝宇元年(757)、聖武天皇の勅願により行基菩薩の開基。南北朝時代に兵火で焼失う。元禄15年(1702)、高須藩主松平家初代義行が再興。境内には松平氏歴代の墓と、行基の塚がある。

1.概要

 ・平成24年3月10日(土)晴れ

 ・区間  海津温泉⇒石津駅⇒駒野駅~第26番善教寺~養老の滝~第25番養老寺~第24番大菩提寺~第5番天喜寺~第18番妙応寺~JR関ヶ原駅⇒大垣駅⇒揖斐駅(タクシー)⇒揖斐川町

 ・歩行距離 約40km *地図による

2.メモ

 a.養老の滝   孝子伝説で有名な養老の滝は、小学生の頃に遠足で行ったことがあるが、記憶がクリアーされていて思い出すような風景はなかった。車道が終わってからの登りは急で、しっかりと汗をかかされたが、滝の近くで遊歩道補修中のおじさんに励ましのパワーを貰った。

b.5番天喜寺  国道365号線から天喜寺方向への入口道路見つからなくて、約500m程オーバーした。牧田川の橋際に居られた地元に人に教えてもらい戻ったが、標識の欲しい場所である。寺は留守であった。

c.18番妙応寺  到着が5時を過ぎる見込みであったことから、事前に、5時から6時の間に参拝させていただきたいと連絡してあったが、正門は閉じていた。庫裏への入口を探したが良く分からなくて、隣りの家の方に教えていただいた。
 なお、国道からの寺へは、地域道を使って国道と東海道線の下を潜るトンネル経由で行く必要があるが、国道をそのまま進んでしまいトンネルの上部に出てしまった。5m程の急な土手斜面を強引に降りたが、疲れていたこともあり足がフラフラした。金剛杖に助けられて、下を流れている川に落ちなくて良かった良かったであるが、戻るべきであった、反省、歳なのだから無理はしないこと。
 住職さんには親切にしていただいた。2年前に改築された大庫院は、地元の今須材を使ったということだが、良い材料と仕事がされていて驚ろき。時間が無くてお参りだけになってしまったが、機会があれば再詣してみたいものだ。

d.妙応寺~関ヶ原駅  旧道を歩く予定であったが暗くなってしまったことから、街灯と車のライトを期待して国道を歩くことにした。歩道があったことから車に気を使うことはなかったが、節電のために消されている街灯が多く足元は暗かった。新調したLEDライトが大活躍した。

e.タクシーの接待  揖斐駅に着いた時には、終バスが出た後であった。タクシーを呼ぶことで電話ボックスに行ったところ、タクシーで東津汲に行く人がおられたことから、同乗させていただくことにした。下車時にお礼を渡そうとしたが断られてしまい、感謝・感謝のお接待として受けることにした。

3.写真他

a.海津温泉⇒石津駅⇒駒野駅~第26番善教寺

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〇第26番  志津山善教寺    阿弥陀如来   千手観世音菩薩   浄土宗
 創建年紀は不明。刀匠志津三郎兼氏が住んだことから鍛冶ケ谷とも呼ばれている。大垣藩祖戸田氏西公の菩提と、刀匠志津三郎兼氏の霊をまつっている。

b.善教寺~養老の滝~第25番養老寺

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〇 第25番 瀧壽山養老寺   阿弥陀如来   十一面千手観世音菩薩   浄土真宗
  開基は養老の滝の孝子伝説で知られる源丞内。奈良時代の養老2年(718)、七堂伽藍も建立されたが、永禄年間(1558~)、織田信長によって焼き払われた。その後、慶長12年、高須藩主徳永寿昌が再建。本尊は、鎌倉初期の寄木造りで国重要文化財。

c.養老寺~24番大菩提寺

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〇第24番  養老山大菩提寺   如意輪観世音菩薩    臨済宗
  昭和3年(1928)、全国の信心深い善女10万3千余人の生毛をうけ毛髪如意輪観世音菩薩を造り、昭和9年(1934)に本堂を建立。紀伊那智山の如意輪観世音菩薩の西陣織り画像になっている。

d.大菩提寺~第5番天喜寺

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〇第5番  瑞巖山天喜寺   聖観世音菩薩   臨済宗
 1057年、源頼重の喜捨を受け創建。現在の山門・本堂は、元禄14年(1701)の再建によるもの。

e.天喜寺~第18番妙応寺~JR関ヶ原駅

〇第18番  青坂山妙応寺   釈迦如来   聖観世音菩薩   曹洞宗
 正平15年(1360)、今須領主の長江重景が、母妙応の菩提のため開基。寺内には長江氏の墓がある。中には応年7年(1400)の墓もある。

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1.概要

 ・平成24年3月11日(日) 晴れ

 ・区間  揖斐川町(バス)⇒東津汲~乙原~1番横蔵寺~仁坂坂~揖斐川町(実家)

 ・歩行距離  21.2km(地図上)

2.メモ

 a.久瀬トンネル  東津汲と乙原を結ぶ長さ約2.2kmの久瀬トンネルは、トンネル内は車の音がうるさいことから、揖斐川沿いの旧道を歩いた。距離的には約2kmの遠回りであったが、車が1台も通らず景色も良くて、それに下り坂でルンルンでした。多くの地蔵さんにも会えました。

b.横蔵寺  平安時代に建立された横蔵寺には、子供の頃に何度もお参りしたが、何十年ぶりであった。小堂におられた妙心上人の舎利仏(ミイラ)は、大変立派なお堂になっていたことから驚いたが、前屈みのお姿は昔しのままであった。

c.横蔵街道  揖斐川町史などによると、横蔵街道という巡礼道があった。 古代の主要官道である東山道の赤坂より北に入り、揖斐川を渡って横蔵寺に至る道で、中世における主要参詣路は、赤坂~八幡~本郷~小島~房島~北方~仁坂峠~有鳥~横蔵寺で、長久元年(1040)には、一里ごとに薬師如来を祀った仏堂が建立された。赤坂・八幡・萩原・小島・有鳥・横蔵寺の七仏堂で、現在も、位置が変わっているものの存在している。 15世紀には、華厳寺が西国三十三所観音巡礼の最後の札所になると、巡礼者の数も増えた。多くが横蔵寺から華厳寺に至る順路を通った。*今回、その一部(仁坂峠~有鳥~横蔵寺)

d.震災一周年  14時46分、揖斐川町姥坂の五差路において、政府の式典をラジオで聞きながら君が代斉唱と黙祷をしました。黙祷を終えて歩き始めたのはよいのですが、位置と方向感覚がクリアーされてしまっていて、500m程迷走してしまった。子供連れの若奥様に居場所を教えていただき、予定の道に戻ることが出来ました。 震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。オンマカ キャロニカ ソワカ。

3.写真他

a.東津汲~1番横蔵寺

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〇第1番 両界山横蔵寺   薬師如来   十一面観世音菩薩   天台宗
 801年、桓武天皇の勅願を受けた伝教大師が創建、22体もの国重要文化財があり、「美濃の正倉院」とも呼ばれている。現在の本堂、三重塔、仁王門などは徳川家康の朱印により建立。

<参考 横蔵寺縁起 同寺のパンフレットより>
横蔵寺は、伝教大師が自作の薬師如来像を祀った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。 横蔵の地は東山道、後の中山道の赤坂の宿から七里北に位置し、横蔵街道という巡礼道があり、一里毎に薬師を祀っていました。 濃尾平野の北、両白山地帯の南、修行には良い環境と言えましょう。 平安、鎌倉時代には、この辺りの本山として、学問や文化の中心として栄えました。 本堂の左奥の山の頂上付近に、沢山の僧坊跡が在りますが、鎌倉時代の記録に拠れば、薬師堂、三重塔、楼門、政所をはじめ、三十八の僧坊があり、山内に百数十人の僧侶が住んでいたようです。 本堂跡、仁王門跡は現在まで残っています。戦国時代には次々と寺領を侵略され、元亀の法難には織田信長にすべて取り上げられます。 また比叡山再建のため、横蔵寺の薬師如来は比叡山へ移り、根本中堂の本尊となります。横蔵寺も慶長年間に再建の運びとなり、現在に至ります。 <補足>舎利堂には、横蔵出身の妙心法師の舎利仏(ミイラ)が祀られています。

b.第1番横蔵寺~揖斐川町

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1.概要

・平成24年3月12日(月) 雪後晴れ

・区間 揖斐川町(バス)⇒揖斐駅(電車)⇒大垣駅~第17番新善光寺~第29番文殊院~大垣別院~第30番全昌寺~第22番求浄庵~第23番報恩寺~求浄庵近く(タクシー)~大垣駅(バスで大垣フォーラムホテルへ、高校の同窓会、終わってから大垣駅⇒舞浜駅)

・歩行距離 11km (地図上の距離)

2.メモ他

a.雪   実家で朝起きたら、義姉が「雪だですよ」、外を見たら雪がしっかりと降っていて10cmほどは積もっていた。「これでは今日はダメダ」ということで、のんびりと朝ごはんを食べていたが、「せっかくだから大垣城などの市内見学をするか」ということで、バスの時刻に合せてそれなりの時刻に出発した。大垣駅に着いたところ、雪は降っていたが積もっていなかったことから、方針を変更して歩くことにした。スタートが遅かったのと高校時代の同窓会の集合時刻(13時30分、大垣駅前)があったことから、バタバタした急ぎ足の巡礼になってしまった。写真も少ない。

b.22番求浄庵の朱印  求浄庵は無住のため、朱印は近くの船田自転車店でいただくことになっていたが、留守であったため後日に朱印したものを郵送していただいた。*第23番報恩寺も留守であった。

c.東本願寺大垣別院  文殊寺の近くにあったことからお参りした。菩提寺(東本願寺系)の、この地域における本山といえる別院。

d.大垣駅  駅前の説明板に駅の沿革が記述されていた。駅の開業は明治17年(敦賀・関ヶ原が大垣に延長)、明治22年に東海道線前線開通、大正8年大垣~揖斐開通。

3.写真他

a.揖斐川町⇒揖斐駅⇒大垣駅~第17番新善光寺

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〇第17番  西額山新善光寺   一光三尊如来   聖観世音菩薩   天台宗
 明治15年(1882)、西美濃の有志により、恵心創都作の一光三尊如来を信州善光寺より大垣し郭町に移し、安置したことに始る。その後、昭和12年1937)、道路拡張工事のため緑園に移築し、今日に至っている

b.新善光寺~第29番文殊寺

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〇第29番  白光山文殊寺   文殊菩薩   聖観世音菩薩   真言宗
寛永12年(1635)大垣城主戸田氏鉄が父一西の念持仏を本尊とし、大垣城の鬼門除けとして建立。開基は関東武士の滝沢子源太、その子の秀尊が文殊寺を開山。

c.文殊寺~第30番全昌寺

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〇第30番  桃源山全昌寺   釈迦如来   聖観世音菩薩   曹洞宗
  大垣藩主戸田氏鉄の奥方(徳川家康の姪)の開基。慶長年間に尼崎に建立された。寛永12年(1635)、戸田氏鉄の尼崎から大垣への国替えに合せ大垣全昌寺を開山。

d.全昌寺~第22番文殊庵

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〇第22番 紫雲山求浄庵   如意輪観世音菩薩   浄土宗
 享保年間勝沼儀左門家菩提のため創建。本尊の如意輪観世音菩薩は、首より上の病気にご利益があると言われる。二代目から尼寺であったが現在は無住。

e.求浄庵~23番報恩寺
〇第23番 補陀山報恩寺   十一面観世音菩薩   曹洞宗
永禄元年(1558)、九州薩摩の僧一元和尚が開山。円空作の薬師三尊十二神将を安置する。

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